検索は、チカラになる。

寄付先の活動紹介

2022年3月に実施した「3.11 検索は、チカラになる。」では、ヤフーとLINEから合計81,972,720円を5つの団体へ寄付しました。

今回、寄付先団体のひとつである「公益社団法人3.11メモリアルネットワーク」を訪問し、
活動内容をお聞きしました。

震災を知らない世代の命を
守りたい

〜マンガで伝えていく津波の教訓〜

※この記事には地震・津波による被害の描写が含まれます。

震災を知らない子はもう6年生に

宮城県石巻市門脇地区の現在の写真

撮影:石垣星児

東日本大震災から12年。津波で街全体が流されてしまった、宮城県石巻市の門脇(かどのわき)地区。
周囲を新しい堤防が取り囲み、公園として整備されつつある広大な空き地の上をカモメが飛んでいる。かつてここには、1700世帯もの家々が立ち並んでいた。

震災の教訓を残す活動を続けている佐藤美香さんの写真

撮影:石垣星児

「もし娘が生きていたら、今は高校3年生。どういう子に育っているのか、中学までは想像できたけど、高校から先は想像がつかないです。人生がどんどん分岐していくので...」
 
そう語るのは、“語り部”として震災の教訓を残す活動を続けている佐藤美香さん。東日本大震災で、6歳だった愛娘を亡くしている。

子どもの安全を考える日和幼稚園遺族有志の会が発行した冊子の写真

撮影:石垣星児

2021年、佐藤さんは公益社団法人「3.11 メモリアルネットワーク」基金の助成金を利用し、自らの経験をマンガにして約1万部を配布した。

佐藤さんの経験を基に描かれたマンガの見開き写真

撮影:石垣星児

「震災を知らない世代も増えてきて、大きな子だともう小学6年生になります。そんな子たちに伝えるために、震災の教訓をブログなどで発信しているアベナオミさんにお願いして、マンガにしてもらいました」
 
そもそも石巻は、マンガ家・石ノ森章太郎さんの「石ノ森萬画館」がある“マンガの街”。この表現にたどり着いたのも自然な流れだった。

いたるところにマンガのイラストがあふれるJR石巻駅の写真

撮影:石垣星児

娘が助かるチャンスはあった

あの日、いつものように幼稚園へ行った、当時6歳の愛娘・愛梨ちゃん。帰りのバスで津波に巻き込まれてしまったため、佐藤さんは「ただいま」の声をいまだ聞いていない。

マンガの一コマ、大津波警報の中園児を乗せたバスが山を下る

©アベナオミ

「愛梨は地震発生時、高台にある幼稚園にいたので、そのまま園内に待機させるべきだったんですけど、園長は発生から15分くらいしてバスを出してしまったんです」
 
佐藤さん宅は内陸部にあり、本来なら愛梨ちゃんは内陸に向かうバスに乗るはずだった。ところが2便を1便にまとめるべく、海側行きのバスに乗せられてしまう。そのことを保護者は知らされていなかった。

マンガの一コマ、幼稚園職員たちがバスに駆け寄りバスを園に戻すよう伝える

©アベナオミ

「それでも助かるチャンスはありました。バスはいったん、低地にある門脇小学校に立ち寄ります。そしてそこへ、幼稚園から2名の先生が『バスを園に戻せるか?』と伝令に来たんです」
 
先生は走って来たのだが、伝令しただけで、園児をバスに残したままその場を立ち去ってしまう。幼稚園までは歩いて数分の距離だ。

門脇小学校の裏山に続く石段の写真

撮影:石垣星児

「小学校の裏は山です。せめてこの石段を上ってくれるだけでも助かったと思うと、本当に悔しいです。園児の足でもバスからたった1分の距離なのに」
 
再び出発したバスは渋滞に巻き込まれて、そこで津波に遭遇する。やがて、流れてきた家屋や車に火の手が回り、火災も発生。漆黒の水面は文字通り“火の海”となった。

当時の現場写真を持ち語る佐藤さんの写真

撮影:石垣星児

「門脇小学校も焼け落ちました。だけど幸いなことに、この小学校の生徒たちのほとんどは山側に避難して助かっています」
 
水が引き、焼けた被災物の山の中から、まだくすぶっているバスの残骸を見つけることができたのは、震災3日後のことだった。

マンガの一コマ、行方不明の子ども達を捜索する両親たち。
マンガの一コマ、真っ黒に焼けた園バスを発見。
マンガの一コマ、園バスを発見した両親たち。

©アベナオミ

「娘は津波で亡くなったわけではなく、焼死でした。真っ黒焦げになって、赤ちゃんくらいの大きさになってしまって...。風が吹けば崩れそうだったので、最後に抱き締めてあげたかったけど、それもかないませんでした」

明暗を分けた、高さたった数メートルの坂道

焼け焦げたバスが見つかった坂道の麓に立ち、後世へ震災の教訓を語り継ぐ

焼け焦げたバスが見つかった坂道の麓に
立ち、後世へ震災の教訓を語り継ぐ撮影:石垣星児

愛梨ちゃんを含む園児5人と添乗員が亡くなり、運転手は生還した。
 
うち3人の園児は抱き合うように、同じ方向に頭を向けた状態だったという。津波で亡くなっていたら、それぞれ引き離されていたはずだ。

マンガの一コマ、助けを求める子どもらしき声が聞こえたという証言

©アベナオミ

後日、付近の住人からは、夜中まで被災物の山の中から助けを求める子どもらしき声が聞こえてきたという証言も寄せられた。
 
「あの日は雪も降るとても寒い日だったのに、津波を耐えた子どもたちは真っ暗な中、ずっと助けを求めて、必死で生きようとしていました。次から次へと襲いかかる余震や爆発音。想像してもしきれないくらい怖かったと思います」

実際の幼稚園バス/日和幼稚園遺族有志の会提供

実際の幼稚園バス日和幼稚園遺族有志の会提供

伝承交流施設「MEET 門脇」で展示されている、愛梨ちゃんのクレヨンと上履き

伝承交流施設「MEET 門脇」で展示されて
いる、愛梨ちゃんのクレヨンと上履き撮影:石垣星児

バスが発見されたのは、山側の住宅街へと続く細い坂道の麓。緩い傾斜のその生活道路を上ると、そこには震災前と変わらない街の姿が広がっている。
 
明暗を分けたのは、このたった数メートルの高低差でしかない。

伝承交流施設 MEET門脇で語る佐藤さんの写真

撮影:石垣星児

「ほんのちょっとの差で、これだけ変わってしまうんです。これが災害なんです。だから日頃の備えが本当に大事。私、出身が熊本なので、地元の友だちにもずっと『家具を固定してね』とか言い続けてきたんですよ」

崩れ落ちた熊本城の石垣

崩れ落ちた熊本城の石垣撮影:田野幸伸

東日本大震災から5年後の2016年に熊本地震が起きて、友人たちからこんなことを言われたそうだ。

震度7を記録した熊本県益城町

震度7を記録した熊本県益城町撮影:田野幸伸

「『地震が起きて、初めて美香が言っている意味が分かった!』って。だから伝承って本当に難しい。受け手に実際に動いてもらわないと意味がないんです。当事者になってからだともう遅いんです」

愛梨ちゃんのクレヨンと上履きの展示前に置かれたプレート「私たちの命を無駄にしないで」の写真

撮影:石垣星児

防災に対する意識の差。なんとかして、それをなくしたいと切実に考えている佐藤さん。
 
「保育所と幼稚園でさえ格差があるんです。保育所の管轄は厚労省で、毎月の避難訓練が義務付けられています。対して文科省管轄の幼稚園は、消防法で規定された最低年2回以上やっていればいいことになっています」

2011年6月当時の門脇小学校

2011年6月当時の門脇小学校撮影:田野幸伸

実際に毎月避難訓練をしていた海側の門脇保育所は、指定避難所だった門脇小学校には向かわずに、1.8キロメートル離れた山側の石巻保育所へ無事避難している。

現在の門脇小学校は石巻市の震災遺構となっている

現在の門脇小学校は石巻市の震災遺構と
なっている撮影:石垣星児

「門脇保育所の所長いわく、震災が『3月でよかった』そうです。小さい子でも1年かけて訓練してきたので、その積み重ねが発揮できたんです。日頃から備えていれば、園児だけでなく大人の意識向上にもつながります」

坂道の麓で語る佐藤さんの写真

撮影:石垣星児

しかし、そう訴え続ける佐藤さんの伝承活動に対して、「まだあのときの話をしているの?」と言う人もいるらしい。
 
「震災との向き合い方は人それぞれですから...。ここで震災について触れるのは、エネルギーが要ります。でも、もし私が幼稚園の防災体制を知っていれば、娘の命は守れたかもしれません。だから皆さんにも、自分や家族が通う施設の防災体制を学んでほしくて、語り部を続けています」

マンガの一コマ、虹を見上げる5人の子ども達

©アベナオミ

そして佐藤さんは語りを聞きに来た人たちに、「お家に帰ったら『ただいま』と言ってください」といつも最後にお願いする。
 
「あの日、家を出ていった愛梨から、まだ『ただいま』の声が聞けなくて、何げない日常の大切さに気付かされました。何か小さなことでもいいから、今から始めてほしい。『ただいま』はその第一歩だと思っています」

震災9日後に倒壊した家屋から生還した「英雄」

語り部として活動している阿部さんの写真

撮影:石垣星児

門脇地区には、佐藤さんのように語り部活動をしている人が他にもいる。
 
津波に流された家の中から9日後に救出された、当時高校1年生の阿部任(じん)さんもその一人だ。

伝承交流施設 MEET門脇の外観写真

撮影:石垣星児

現在は、公益社団法人「3.11 メモリアルネットワーク」の職員。彼の経験もマンガになって、伝承交流施設「MEET 門脇」のディスプレーで上映されている。
 
震災をよく知らない若者に少しでも届けようという思いからだ。

MEET 門脇内部の写真

撮影:石垣星児

「MEET 門脇の展示企画が進められているとき、私の前の職場が『石ノ森萬画館』だったつながりで、マンガ家の井上きみどりさんに制作が依頼され、豪華声優陣にアフレコまでしてもらいました」

阿部さんの活動を紹介するパネルの写真

撮影:石垣星児

震災当時、仙台の高校に通っていた阿部さんは石巻に帰省中で、80歳の祖母と2人で家にいた。
 
強烈な揺れを感じた後、テレビをつけると3メートルの津波予測。ところがその時は、まさか自分の家まで津波が押し寄せてくるとは思いもしなかった。

マンガの一コマ、地震直後想像以上の揺れに戸惑う阿部さん

©井上きみどり

「うちから海まで900メートルあって、その間には大きな住宅街が広がっていたので、海は見えないし、そもそも海が近いという感覚もなかったんです。おばあちゃんも『チリ津波のときは70センチくらいだった』と言っていたので、油断していました」
 
外に避難はせず、とりあえず2階で様子を見ることにした阿部さん。しかし、金庫を回収するために1階へ下りたところ、ガラス戸の向こうはすでに波を打った真っ黒な水で埋め尽くされていた。

マンガの一コマ、真っ黒な水で埋め尽くされたガラス戸に驚く阿部さん

©井上きみどり

「次の瞬間、ガラスが割れたんですけど、それがスローモーションのように見えました。一斉にいろんな音がして、家の中に水が流れ込んできました」

マンガの一コマ、家の中に流れ込んだ水にのまれる祖母

©井上きみどり

その後、津波にのまれた祖母はなんとか自力でテーブルに這い上がることができたものの、もうその頃には2人がいた2階部分全体が津波に流されつつあった。その距離、なんと200メートル。
 
そのため家族に見つけてもらうこともできず、祖母と潰れた家の中で寒さに凍えることになる。

マンガの一コマ、びしょ濡れで寒さに震える阿部さん
マンガの一コマ、圧縮袋に入った布団とバスタオルを発見
マンガの一コマ、扉を上にして倒れた冷蔵庫から食料を出す
マンガの一コマ、震えながらひたすら朝を待つ阿部さん

©井上きみどり

時の現場写真を見せながら説明する阿部さんの写真

撮影:石垣星児

やっとの思いで外へつながる隙間を発見して、屋根に這い上がれたのは、震災から9日後のことだった。
 
「辺り一面、何もない!すごく晴れたお昼だったんですけど、家から見えるはずのない海が見えたのが衝撃でした」

マンガの一コマ、屋根の上から見る何もない景色に驚く阿部さん

©井上きみどり

僕はヒーローじゃない、しくじり先生

程なく救助隊に助けられた阿部さんは、同時に救助隊の倍くらいの人数のカメラマンに囲まれて、“奇跡の救出劇”として大きくメディアに取り上げられた。

地震で倒壊した家屋から消防隊員や警察官に救助される阿部さんの写真

The Asahi Shimbun/Getty Images

しかし、膨れ上がるヒーロー的なイメージに、彼は後ろめたさを感じたと振り返る。
 
「おばあちゃんを守ったヒーローみたいな取り上げ方をされたんですけど、全然そんなことはなくて。1分もあればできた避難をせずに、みんなに迷惑かけただけなんです」

マンガの一コマ、なんでボクはあの時すぐに避難しなかったんだろうと振り返る阿部さん

©井上きみどり

その後、寒く狭い空間に長期間にわたって閉じ込められていたせいで、足が壊死寸前であることが判明。入院先の病院は、取材攻勢を配慮して一番奥の個室を用意してくれた。

マンガの一コマ、病院のベッドにも押しかける記者

©井上きみどり

されど、記者は廊下を埋め尽くすけが人をかき分けて、無断で押しかけてくる。阿部さんは取材を一切NGにした。
 
「ようやくホッとできたのは、仙台の高校に5月から再び登校するようになって、友だちが『なんでお前逃げなかったんだよ〜』と言いながら、強めに肩パンチしてきたときでした」

マンガの一コマ、高校の友だちと並ぶ阿部さん

©井上きみどり

平穏な暮らしを取り戻した瞬間だ。とはいえ、阿部さんが石巻に帰ってこられるようになるまでには、それから6年もの月日を要した。

2011年6月当時の、阿部さんの家があった付近の様子

2011年6月当時の、阿部さんの家があった
付近の様子撮影:田野幸伸

区画整理された街に立つ阿部さんの写真

撮影:石垣星児

大学卒業を間近に控えて訪れた、震災ぶりの故郷。すっかり区画整理が進んだ新しい街並みに一人たたずみ、こんなことを考えたという。
 
「16歳まで生きてきたこの街との縁が、そのまま切れそうに感じられたので、石巻で就職しようと決めました。自分の失敗を“しくじり先生”としてここで残していければなと...」
 
6年にわたってメディアの取材を避けてきた少年は、今度は語り部として自らがメディアになる道を選んだのだ。

伝承交流施設 MEETで語る阿部さんの写真

撮影:石垣星児

「救出後、メディア各社の代表質問を一回だけ受けたことがあるんですけど、その質問者もその場で急きょ決まった記者さんで、後から聞いた話ですが、病室で寝ている僕にどのような質問を投げかけたら良いか、悩まれたそうです。メディア側も伝えるのに必死だったんですよね...。伝える側になった今、同じ思いが自分に降りかかってきています」
 
語り部を職業として成立させたいと抱負を語る、阿部さん。語り部は、今、そしてこれからの命を守ることができる尊い仕事だと信じている。
 
干支一回りという時の流れは、あらゆるものを変えるのに十分な時間といえるだろう。刻々と変化していく街の風景、人々の暮らし。だからこそ、あの日の教訓を忘れずに、今日も彼らは未来へ向けて語り継ぐ。

2023年 寄付先団体

「3.11 検索は、チカラになる。」の寄付金は、
「東日本大震災の風化防止」、
「被災地域における未来世代への支援」を目的に、
下記の9団体にヤフー、LINEより寄付されます。